後醍醐天皇

御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)による封建制度(ほうけんせいど)とは、すぐにどこへでも駆けつけて、将軍のために命がけで戦うことです。モンゴル帝国の元(げん)が、日本を支配しようと二度にわたり使者を送ってきましたが、北条時宗(ほうじょうときむね)は拒否しました。そのため、二度の戦いで多くの費用を使いながらも恩恵(おんけい)を受けられずにいた御家人(ごけにん)の不満が高まりました。

後醍醐(ごだいご)天皇からのひと言
わたしは、鎌倉幕府に不満を持つ武士たちと一緒に、幕府を倒そうと計画しましたが、二度失敗し島流しになってしまいました(泣。 しかし、その後(1333年)ついに幕府を倒して、年号を建武(けんむ)と改めました。しかし、またもやすぐに失敗してしまいました(大泣。


Q: 建武の新政の失敗のあと、あなたはどうなりましたか? インタビューりのさん
A: あぁ、それはあまり言いたくないんじゃが・・・
Q:
なんでですか?
A: いやぁ、わしを裏切った足利(あしかが)がこわくて、吉野(※今の奈良県)に逃げてしまったのだ・・・はずかしいことじゃが(汗

地図←後醍醐天皇のお墓が吉野にあります。広告募集
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